マイクロソフトで働くエンジニアパパの子育てブログ

英語教育やプログラミング教育などの話題を中心に子育てについて書いています。このブログは私個人に属するもので、所属する企業の見解ではありません。

マイクロソフトで感じたダイバーシティの重要さを子育てに活かしたい

Diversity
Diversity(多様性)という言葉自体はかなり有名になってきたと思いますが、多様性は日本に住んでいる限り相当に意識しないとなかなか達成できるものではないと思います。

日本で生まれ育った私の目からすると、マイクロソフトの本社では実に様々な人が働いているように見えます。インドや中国を中心として各国から本社に人間が集まってきますし、上級職の人も含めて女性を目にする機会も圧倒的に多いです。これも最近有名になった言葉ですが、LGBTコミュニティーに関する話題も多く目にします。

カフェテリア(社員食堂)でも必ずと言っていいほどベジタリアンの方を意識したメニューや表記などを見かけますし、バリアフリー等の施策についても日本にいるときよりも目にする機会が多いと感じます。基本的にすべてのモノやコトが「世の中って色々な人がいるよね」ということを前提にデザインされていることが窺えて、非常に感心します。

それに製品自体もグローバルに広く使われるものであるので、実に様々なことを考慮した造りになっているというか、様々なことを考慮した造りになるように工程がデザインされています。そしてこのような工程が正しくデザインされる為にも、やはり自分たちこそが多様であるべきだという正のループがそこには存在します。

しかしそれでもまだあるべき多様性が達成されていないと言わんばかりに、実に様々な機会で多様性を持つことの重要性が語られるのを目にします。こういうのを見ると正直圧倒されてしまうというか、「ああ、日本がこのようになるのはすごく難しいだろうな」という諦念を感じたりします。

最近は長女も小学生になって、「多様性を許容する、促進する大人に育ってほしいなあ」と考えることもあるのですが、日本は地理的なのか歴史的なのか色々と経緯はあると思いますが、多様性を確保するのは非常に難しいと思っています。単純に、日本で普通に過ごしているとなかなか多様性を意識する機会がないと思います。

もちろん日本にもマイノリティの方はいらっしゃいますし、何より同じ人種や性別であっても人はそれぞれ違うものです。ただ多様性をナチュラルに、普通にこの国で生まれ育っただけで意識できるようになるかと言うと、難しいだろうということです。

長女は半年ほどアメリカで保育園に通っていて、そのときに肌の色や言葉の違うお友達と過ごした経験がありました。だから今でもときどきそんな文脈があると「あのときの〇〇ちゃんもそうだったよね?」というような会話ができて、それ自体はすごく良いと思っています。

しかし日本で普通に暮らしていればそういった多様性への自然な形での露出は減っていくことになるでしょう。

日本では、もちろん例外はありますけれど、基本的にモノやコトが「みんな同じだよね」ということを前提にデザインされていると思います。それは別に悪いことだと言っているわけではなく、ときに大きてポジティブな力を発揮すると思っています。例えば災害時などに暴動や略奪が起きにくいといった日本の美点のいくつかはこういった部分に支えられていると思います。

しかし一方でそれは「みんな同じであるべきだよね」という強い同調圧力となり、それによって苦しむ人も多かったり、何よりそれは今後の日本の国力を押し下げると考えています。

工業の時代は「みんな同じだよね」という日本の意識が日本の経済的な長所でもあったと思います。システマティックに、そしてメカニカルに、高品質な製品を多く作ることが経済的に力を持っていた時代に日本という国の気質はぴったりとマッチしたのではないかと思います。

しかし今後は違います。インターネットとそれに瞬時にアクセスできる小道具が生まれたことにより、世界が一気に繋がってしまった結果その戦略が通用しなくなってしまいました。その中でまだ「The 日本 way」に拘っていると、本当の本当にガラパゴスになってしまいかねません。

自分の子供たちに、そして日本の子供たちに多様性を理解してもらうために、親としてひとりの大人として何が出来るのか。そういうことが理解できない大人になってしまったら、正直あまり英語が出来てもしょうがないとも思います。世界の、人々の多様性を理解しつつ、その中で自分や自分の国の特色や長所について発信できるような子供たちが増えるような、そんな日本となるべく自分が出来る貢献を考えてみたいと思います。